water

 ヨーホー
 ヨーホー

 喉の奥から口を通って飛び出した歌はなぜか海賊の歌らしきものだった。
 おっかしいな、なんでだろ。
 そう言えば、ガキの頃に海賊に憧れたこととかあったっけ?大海原を自由に渡って目指すのは海のありとあらゆる魚や貝が集っている伝説の海。そうだ、たしかそんな夢を楽しんでいた。随分長いこと。どうして突然こんなことを思い出したのか自分でも不思議だ。
 で、次の瞬間に俺は自分の目と耳を疑った。

 ヨーホー

 ・・・・唸るように一節歌いやがったのは・・・・ええと・・・・ゾロだよな?ロロノア・ゾロ。・・・・こいつ、歌えたのか。ていうよりも、こいつも海賊に憧れてたとかそういうアレか?
 驚いている俺をちらりと見たゾロはニヤリと口角を大きく上げた。

 かろうじて3人の予定を合わせることができた夏休み。不運にも乗ったボートのエンジンが壊れて流されるままに小さな島に漂着した。いや、幸運といった方がいいのかもしれない。転覆して海に投げ出されたりせずにすんだのだから。
 不安はあまりなかった。
 ボートを貸りたのはちゃんとした業者であのエースが紹介してくれた男だ。予定の時間を過ぎても俺たちが戻らなければ、当然何かあったと思って捜索隊の一つも出してくれることだろう。
 こういう時、男はレディに不安を感じさせちゃいけねェ。俺は急いでアキちゃんの姿を探した。
 いた。
 ちゃんとゾロが傍にいてアキちゃんの荷物を持ってやっている。マリモのくせになかなかいいぞ、うん。俺はホッとして周囲を見回した。
 『孤島』を絵に描いたような島だ。白い砂浜。青い海。ちょっとばかり陸に入ると南国ムードの木がまとまって生えていて林を作ってる。
 うん。期待はできる。カラカラに干上がった島じゃなくて立派な林があるんだから、どこかに池だの川だのもあるかもしれない。上手くいったら飲める水が。
 もう一度ぐるりと見回した俺は、はっきり言って驚いた。
 砂浜になぜか一つだけ大きな石というか岩が転がっているのだが、その天辺のひび割れから溢れるように流れ出て砂地に沁みこんでいるように見えるのは・・・・・水のような、とにかく透明な液体だった。
「なあ、あれがもし水だったらよ、俺たち、恐ろしく運がいいよな?」
「・・・普通は海水が砂の中をどうにかして伝わってあそこから溢れてると思うべきなんだろうがな」
「でも・・・試してみる価値、あるかも」
 こんな時、俺はちょっと嬉しくなる。俺たち3人、言葉の使い方や表現はそれぞれだが基本、前向きな人間だ。こんな時、誰も試すのを怖がったり無謀だと尻込みしたりしない。一見、優しくて大人しく見えるアキちゃんも案外にチャレンジャーだ・・・特に最近は。
「・・・よし。ここはまずこのコックの舌に任せろ」
 アキちゃんの顔に不安が過ぎるのはこの時だ。俺を心配してる。でも、何も言わない。
 ゾロはただ黙って見てる。マリモの無口具合はこんな時はなかなか都合がいい。
 結局のところ、2人が俺を信頼してるってやつなんだと思う。思うとくすぐったいから早足で岩の前まで行った。
 透き通った水。太陽の光を受けてキラキラと輝いている。特に変な匂いは感じない。手の平で受けるとひんやり冷たかった。
「ん・・・」
 ピチャリ、と舌で味わってみた。ふと、俺たちの家族というか子分というかそういうものになってる猫の仕草を思い出した。そして、アキちゃんと目が合った。
「・・・心配するな。フレークはバラティエに行ってる。だから・・・」
 言葉を切ったゾロが俺を見た。俺は大きく頷いた。
「そうそう、あいつは絶対大丈夫。ほら、アキちゃんも知ってるだろ?クソジジイの野郎、フレークにぞっこんだから。たっぷり食わせてもらって今頃は昼寝でもしてるさ」
「うん」
 アキちゃんの微笑を見て俺も何だか安心した。フレークはOK。ボートにはある程度の食料はある。これで水があれば万全だ。そして、手の中のこの水は。
「飲めそうか?それ」
 俺は頷いた。飲めそうどころかするすると喉を下った。滑らかな味わいと喉越しがえらく心地いい。
「イケル。飲んでみろ」
 ゾロがでかい手で水をすくっている間にボートまで走り、ランチバスケットからステンレスのマグカップを出した。
「はい、アキちゃん。間違ってもマリモの手から飲ませてもらったりしないでね。マリモ菌がうつるから」
 アキちゃんの真っ赤になった頬の色とスピードは毎回見ものだ。面白がっちゃいけないと思えば思うほど可愛いく思える。一方、表情一つ変えないゾロは本当に食えないヤツだ。
「冷たくてとっても美味しい・・・・けど・・・」
 その「けど」の後を俺もゾロも聞いていなかったと思う。ボートを波に攫われないようにしっかりと浜に引き上げ、木陰に荷物を運び、シートやら何やらでどうにか居心地のいい場所を作り・・・眩しいほどの陽光の下で汗をかいた身体に、透明な水は爽やかにしみわたった。
 恐れるものなんてないさ。狼の1匹や2匹が出ようがその時はゾロが牙を向いて粉砕するだろう。俺はアキちゃんをしっかり背後に守りながら、いつでも最強の蹴りを繰り出せるように身構える。アキちゃんは悲鳴をあげて俺の背中にしがみつくかもしれない・・・・・いや、それはねェな。
 俺はこの時、自分の思考が少々浮つき気味なことには気がついていた。でもそれは、緊急時ということで興奮している神経の影響だろうと思ったんだ。そう。その時は。

 ヨーホー
 ヨーホー

 ゾロと声を合わせて歌いながら、俺は首を傾げた。いい気分だ。でも、あり得なくねェか?
 気がつけば手に持ったカップで水を汲んでどんどん飲んでいた。アキちゃんのカップにも何度もお代わりを汲んだ。ゾロはゾロのペースでずっと飲んでいる。身体も気分も最高で、海の上を走っていけそうな気までしている。ということは。つまり。
「お酒、だよね?この水」
 アキちゃんの呟きが聞こえた。
 そうなんだ。今のこの状態はものすごく気分良く酔ってる時にそっくりだ。向かうところ敵ナシ。人生バラ色。人類みな恋人。
「えらく癖のない酒だな。まあ、悪くはねぇが」
 気がついてやがったのか、ゾロも。だったら言えよ・・・・つぅか、お前、なんでそんな当たり前の顔をしてアキちゃんの隣りに座りやがるんだ!人類みな恋人っつったろ?当然、俺もアキちゃんを大事にしたり守ったり笑顔に蕩ける権利があるんだよ!
「くぉら、このクソマリモ!アキちゃんを独り占めするんじゃねェ。今度は俺の番だ」
 はぁ?という声が聞こえそうな顔でゾロは片方の眉を上げた。何驚いてやがる。俺は当然の権利を主張したまでじゃねェか。
 俺はするりとアキちゃんの横に座った。
「なあ、アキちゃん、ちょっと眠くねェ?ほら、俺、膝枕貸すから。眠たくなたらいつでも言って」
「・・・・そこで膝枕、なのか」
 なにやらゾロが呟いた気がするが気にしない。アキちゃんはにっこり笑ってくれた。
「ありがとう。じゃあ、サンジ君が眠くなったらわたしが膝枕、するね?」
 うぉぉぉぉぉ!
 ははっ、聞いたか、このマリモゾロ!
 アキちゃんの膝だぞ、膝枕だぞ。へへ~んだ。
 見れば、心なしかゾロの口元の線が前より真っ直ぐになったようだ。羨ましがってるか?おいおいおい。
「なに変な顔で見てやがるんだ、お前は」
 お、これは完璧な八つ当たりってやつじゃねェ?俺は満足してニンマリしてやろうと思ったが・・・・・あああああ!ちょっと待て。お前、そのマグカップは・・・・!
「こら、この不謹慎マリモ!ドサクサにまぎれてアキちゃんのカップから飲むんじゃねェ!」
 間接キスになっちまうじゃねェか!
 慌てる俺を見てゾロはニヤリと笑った。
「くだらねぇ。アキが気にしてないものをお前が騒ぐな」
 あ~!あ~!あ~!ゾロのヤツ、さりげなくアキちゃんの名前を呼び捨てしやがった!いや、多分これが初めてじゃなくて俺は今までもこいつがそう呼ぶのを聞いてたはずなんだが・・・だけど、何だか今は許せる気がしねェ。
「てめェ・・・・どこまでアキちゃんに失礼なことを・・・・」
 ゾロは訳がわからないといった顔で小さく首を傾げた。
「アホ」
 くぉのぉう~~~~~~!
 なんで俺が侮辱されなきゃならねェんだ。
「喧嘩売ってんのか?クソマリモ!」
「俺はそんな安売りはしねぇ」
「何落ち着き払った顔してやがる。そんなら俺が売ってやる!ほら、立って浜に出ろよ」
「サンジくん!あの・・・・」
 立ち上がりかけたアキちゃんを俺は片手で制した。
「いいんだ、アキちゃん。俺は、前から多分、こいつには色々言いたいことがあったんだ。俺がものすんげェ大切に思ってるアキちゃんを任せられる野郎か、この足で確かめてやる。俺はアキちゃんの兄貴代わりで、ちょっと頑張って父親代わりで、んでもって時々弟代わりで、それから・・・」
 俺の言葉が終わらないうちにゾロがすっと立ち上がった。なんだ、こいつ。ちっとも酔ってないじゃねェか。
「後悔するなよ」
「するか!でやぁぁぁぁぁぁぁ!」
 砂の上で弾みをつけ、渾身の力を込めた蹴りを1発、放った。
 反動で身体が大きく揺れた・・・・・・
「・・・・サンジ君!」
 アキちゃんの声が響いた。
 大丈夫、アキちゃん。心配なんていらねェよ。だけど・・・・・どうして今、アキちゃんの声が頭の上から聞こえた気がしたんだろう。まるで・・・・そう、まるで今俺が膝枕をしてもらってるみたいな距離感で・・・・・・
 俺の身体はやわらかく砂の中に沈んで行った。

「・・・・・大丈夫?冷たかったでしょう、サンジ君」
 ・・・・ええと。なぜだか、今、俺は目を瞑っているらしい。それでも陽光が降り注いでいるのがわかるし、アキちゃんの声がかなり近くから聞こえたこともわかった。あれ?俺・・・・いつの間にアキちゃんに膝枕してもらってたのかな。頭は、頬は、たしかに温かなものに触れていた。
「ついでに言えば、これ以上俺の足に涎を垂らすな、アホコック」
 ・・・・へ?
 ・・・・・はぁぁぁ?!
 俺は飛び起きた。すると・・・・何か大きく揺れた。
「ボートの上で突然立ち上がるな、アホ」
 ゾロの手が俺の腕を掴み、俺は問答無用で座らされた。
 ええと・・・・驚いたように目を丸くして固まっているアキちゃんのその感じから推測するに・・・・どうやら俺はボートの上で眠りこけていて、ついでに言えばなぜかその間ゾロの足を枕にしていて、アキちゃんが扇子で扇いで涼しい風を送っていてくれたらしい・・・・
「サンジ君、昨日は遅番だったものね。少しは疲れ、とれた?」
「気分は・・・何だかスッキリしてるけど・・・・・ええと・・・・」
 ボートを操縦している男が俺の方をチラリと振り向いて笑顔になった。
 俺は段々状況を思い出し、理解しはじめた。
 そうだ。今は3人がようやく予定をあわせることができた夏休みで、俺たちはエースが『なかなか気分がいい場所だぜ』と勧めてくれたビーチに行こうとしてたんだった。そこは水上ボートで1時間ほどの『孤島』らしく作られた小さな島で、何でも夏休み気分を満喫できる場所だという。俺は昨夜、飛び込みの客の最後の一人まで手を抜かずに料理を食わせ、何日か休むのだから包丁の手入れをしておけというクソジジイの言葉に従ってさらに居残りした。んで、部屋に帰った途端にベッドに倒れこみ、朝一番でゾロにたたき起こされ、半ば引き摺られて車に詰め込まれ、そこからボートに積み替えられた。そんで、やっぱりまたすぐ熟睡しちまって・・・・
「・・・・ガキみてぇな寝顔だな」
 うぉぉぉぉ!ぼそりとゾロが呟いた言葉が俺の中の羞恥心をふつふつと沸き上がらせる。
 俺が寝てるとこなんて、別に初めて見たわけじゃねェだろうが!
 いや・・・・こう、真昼間のお日様の下で、一体どんだけマジマジと眺めてやがったんだ、てめェは。アキちゃんも一緒に。眠ってばかりの俺に文句も言わず、多分・・・できるだけ寝心地がいいようにさり気なく気遣いながら。おかげで俺は気分良くぐぅぐぅ寝てて、安心しながらやけにリアルな夢を見ちまったじゃねェか。
 俺と目が合うとアキちゃんはちょっと困った顔をした。きっと俺の顔が少しばかり赤く見えたんだろう。でも、すぐに楽しそうにニコニコした。
「もうすぐ島だって教えてもらったの。ほら、もうあそこに見えるのよ。ちょっとワクワクするね、サンジ君」
「え、もう見えるの?」
 アキちゃんの指先を辿ると確かに島の姿が随分大きく見えた。すげェな。『小さな島』って聞いてたけど、やっぱり、人間と比べるとずっとでかいんだ。
「なんかさ、宝探しとか、したくねェ?」
「ふふ。海賊とか探検隊の気分だね」
 アキちゃんのワクワクがすぅっと俺にうつってきた。やべェ。何だか楽しくて仕方がなくなった。
 こんな時、ゾロはいつも今みたいに何も言わねェけど。
 ちらりと一瞥した俺は慌てて仏頂面に戻ったゾロの顔に予想していたものを見て満足した。
「なんだ、お前だってガキみてェな顔、できるんじゃねェか」
 目を大きく見開いて、眩しそうに空と海を、そして俺たちを眺めながら。
「・・・フン」
 ゾロの返事とも言えないその音に俺は思い切り笑いたくなった。
「夏休み、だね」
 アキちゃんがニコニコしながら囁いたこの言葉が、きっと今の俺たちの気持ちのすべてを表していた。

2007.7.30