春宴

 サンジは花見が好きだ・・・というと誤解を招くかもしれないが、たわわな花枝の下で騒ぐのが好きなわけではない。『花見宴会』はむしろ苦手だ・・・というと不思議に思う人間もいるかもしれない。美味い料理と酒が主役の宴ならいかにも彼が好むところではないか、と。そう思う人間はきっとたくさんいる。
 花見の主役はこの花だ、とサンジは見上げながら思った。幼い頃に彼がそっと後を追ってついていった後姿は、いつも賑やかな宴からそっと抜け出して少し離れた静寂の中に1人、立った。例えサンジの存在に気がついていたとしても1度も振り返らなかった。その物思う広い背中と時折淡い色を降らせる枝とをゆっくり交互に眺めながら幼い心もまた物思っていた。ゆったりとした時間の流れをしばし楽しんだ後、その人は身体を回してリズミカルな足音を立てながら自分の店の従業員たちの輪の中に戻る。その姿を見ると、ああ、今年の花見も終わったな、とサンジは思うのだった。

 そんな時間を共有できる人間は他にはいないだろうと思っていた。
 いないのが当たり前だという思い込みを否定してくれる者もいなかった。
 楽しく騒げる相手なら不自由はしない。サンジが腕を振るった料理と選び抜いた酒はそういう仲間たちにとっては起爆剤のようなものである。それはそれで楽しい・・・だからいいじゃないかと思いながら、何か物足りなさというか切なさのようなものを感じてしまう春。それをずっと繰り返してきた。
「・・・俺、すっげェ運がいいのかな」
 唇の間からサンジが思わず零した言葉を拾い、アキは小さく首を傾げた。
「うん?」
「いや、あの、さ・・・」
 口ごもったサンジはゾロと目を合わせ、反射的に少々口を尖らせてしまった。
「ンだよ、お前のことじゃ・・・じゃなくて、何でもねェからな!ったく・・・」
 油断も隙も・・・と呟くサンジを眺めているゾロの顔にあまりにわかりやすく『アホだな』という表情があったので、アキは微笑した。
 それから、また3人一緒に花枝を見上げた。
 薄く宵が深まってきたその場所で、手には冷酒を満たしたグラスを持って。
 アキとゾロと見る花見には酒も料理も邪魔にはならない。静かにじっくりと味わうことができる花の美と口の中に広がる味わい。サンジはサラリと落ちてきた前髪をかきあげながら口角をいっぱいに上げた。
「もう少し、暗く、なったら・・・」
 言ったアキはゾロの傍らに無造作に置かれたヴァイオリンのケースに視線を向けた。
「ああ、わかった」
 お前が言うなら。そんな言葉を勝手に補完したサンジは勝手に赤面し、答えたゾロを睨んだ。ゾロは無表情にそれを受けたが、やがてニヤリとした。
「・・・くそ」
 いいさ、この場は勝たせてやる。こんな風に思えるほど自分は幸福に酔っているのだ。サンジはまだ熱い頬を風にさらしながら目を閉じ、うっとりと微笑んだ。
 ゾロのヴァイオリンの音色も花見の邪魔にはならないだろう。
 むしろ歓迎だ、とは決して認めず、サンジはグラスをするすると干した。
「眠るなよ、アホコック」
「バ~カ、父親かって、てめェは。ほら、アキちゃん、これも食べてみて。新作の玉子焼き。一味違うはずだから」
「ありがとう。美味しいってすごいね・・・綺麗だし・・・困るくらい、嬉しい」
 その通りだ、とサンジはまた嬉しくなり笑った。
 嬉しいばかりで。
 笑ってばかりで。
 それでも静寂さと満ち足りた感じは続いていて。
 何度も3人目を合わせながら、そのまま時間が過ぎた。
 やがてヴァイオリンの調べが流れ始めた時、空には細い月が弦を張っていた。

2009.5.9