錦繍

 よし・・・目を開けろ

 シールドの外の風の音、エンジンの音。その中に混じったゾロの声が聞こえた。
 こんな風にドキドキするのは初めてかもしれない。
 アキはゆっくりと目を開けた。
 眼前に広がる鮮烈な色の重なりに息を呑んだ。
 色葉散る。
 しっとりと照り輝いている紅葉の重なりの中を通り過ぎる風に合わせ、一枚一枚の葉が思い思いに舞っている。
 視界のすべてを占めた絶景の中にまっすぐに走って行く感覚が全身に鳥肌が立つほど心に鋭く切り込んでくる。
 このまま走り続けたら、あの色の中を通り抜け別の世界へ行ってしまうかもしれない。
 ゾロの身体に回されているアキの腕に無意識に力がこもった。
 前を向いてバイクを走らせながら、ゾロは無言のまま小さく口角を上げた。

「くそ~!何で急に出番になるんだよ、明日に限って!」
 不機嫌な声を張り上げながら入ってきたサンジの姿に、アキは膝の上から駆け上ってきたフレークを抱きとめ一緒に目を丸くした。ゾロはグラスに酒を割るための水を注いでいた手を止め、ボトルから酒を足すとそれをサンジに差し出した。
「はは、気が利くじゃねェか、マリモマン」
 サンジは頭とグラスを一緒に傾けて一気に中身を飲み干した。
 アキはさらに目を丸くした。サンジには似合わない飲み方なおまけに得意な飲み方とも思えなかった。案の定・・・咽はしなかったが少し目に赤さが滲んだサンジは、おとなしくポスン、とソファのアキの隣りに座った。
「もうさ、こうなったらアキちゃんとマリモの二人だろ?・・・・おい、アキちゃんに変な真似したら絶対に許さねェからな!・・・・いや、だからさ、山まではバイクで行ってみなよ。聞いた話によると細い山道に入ってからは車よりもバイクの方がいいらしいぜ?」
 ゾロはしばらくサンジの顔を眺めていた。
「・・・何だよ。俺にその話をしてくれた客は常連の旅行好きだから、これはちゃんとした情報だぞ?」
「・・・ああ。行ったことがあるから、知ってる」
「・・・おい。そういうことはもうちっと早く言え。お前が昔乗ってたバイク、あの人のところにあるんだろ?ちょっとだけ回り道すればあそこに寄れるよな」
 季節はいつの間にか秋になっていた。一週間ほど前にサンジがレストランに来た客から絶好の観楓スポットを聞いてきた。ちょっと遠出になるが日帰りで行けない距離でもなく、知る人ぞ知るの場所だから人が溢れて賑わいすぎていることもないだろうという。張り切るサンジを中心に三人はドライブの計画を立てた。早朝に出て昼過ぎに目的地に着き紅葉を楽しんで夕暮れには戻って来れる。ごく簡単な計画だった。
「でも・・・・サンジ君が休みの日までちょっと延ばせば・・・」
 アキが言うとサンジは笑って首を横に振った。
「いいんだ、アキちゃん。俺、しばらく休みないし、今が一番の見頃だ。俺の分までしっかり見てきてよ。ね?」
 そんな流れでその日の早朝、冷涼な空気の中、盛大に手を振るサンジに見送られながら出かけたゾロとアキだった。

 バイクが止まったことにも気がついていない様子のアキをゾロはただ愛しいと思った。細い身体の両脇にそっと手を入れて地面に下ろし、驚いたように見上げた顔の下のストラップを外してヘルメットを脱がせた。
「かなり凄い眺めだな」
 アキは頷き、また吸い寄せられるように目の前の山と二人を囲む木々に視線を向けた。足元を見れば地に落ちて重なる葉の色が履いているブーツを染めて移り来るような錯覚に陥る。
 一歩、二歩。
 アキはそっと足を進めてみた。しっとりと濡れた地面から湧き上がる香りと木の葉しぐれ。今いるこの場所だけ時の流れが違う気がした。
 アキの後姿を眺めていたゾロは、ふと、アキの身体が震えていることに気がついた。歩いて行き、後ろから腕の中に包み込んだ。
「・・・寒いのか?」
 アキはゾロの腕の中で首を横に振った。
「多分・・・あんまり綺麗だから」
「ああ・・・そうだな」
 衣類越しに互いの体温が伝わってきた。それぞれが感じているものを相手に上手く伝える言葉を、どちらも持ってはいなかった。それでもいいと思っていた。言葉にしてしまえば薄くなって壊れてしまうかもしれないここにあるすべてを一緒に感じることができるだけでよかった。
 ゾロはやわらかな髪にそっと唇を触れた。自分の中にある緊張の気配に心の中で苦笑し、腕の中でアキが微笑んだ気配を感じて抱いている腕に力を込めた。

 部屋の床に寝転がって猫をじゃらしていたサンジは鳴り出した携帯電話に手を伸ばした。
 お、マリモか。
 思わず起き上がって姿勢を正して目を閉じ、ここは忙しい真っ最中の厨房の中だと自分に暗示をかけてから通話ボタンを押した。
「おう、どうした、クソマリモ。こっちは忙しいんだから手短に・・・」
『・・・あと1時間ほどでそっちに着く。鍋の準備、しておけ。戻ったら買出しに行くぞ』
 サンジは思わず目を丸くした。
「はァ?だから、お前、俺はな・・・」
『・・・もうやめとけ、アホコック。いいから、フレークも連れて行く準備、しておけよ』
 一方的に通話は切れた。
 今のゾロの言葉は何だ。
 つまり・・・・サンジの演技は全部バレてしまっているということで。
 勿論、アキも知っていたということで。
 おまけにサンジはどこにも出かけずに猫と一緒にいるだろうと予想されてそれが的中しているということで。
 サンジは床に寝転がった。喜んだフレークが上に飛び乗った。
「ったくなァ・・・・たまらねェよな」
 呟いたサンジの口元に微笑が溢れた。
「よし!あのクソマリモに新鮮な食材をたっぷり買わせてやろうな!」
 サンジの胸の上でフレークが嬉しそうに一声、鳴いた。

2006.9.30