手品師 - 1/9

「それだけあんたがなりきってたってことなんだから、逆に喜んでみることにしたらいいんじゃねぇ?」
慰める風を装って実は面白がっているような、あるいはその反対のようなエースの声にもアキの顔には疲労感だけがあった。
「名刺、何枚もらった?」
「・・・5枚」
「へぇ、それって集まったメンバーの中で一番だったりしてな!」
 アキは黙ったまま、ただ、エースの顔を見た。そばかすが目立つ気がする。いつもよりも子どものような笑顔のせいかもしれない。
「ああ・・・あれが原因の一部って奴だな」
 車はマンションの下でなぜか箒を持って立っているサンジと腕組みをしているゾロの前で止まった。
「なるほどねぇ。本物はちょっとばかり味が違うな」
 エースは低く笑った。
 サンジは車から降りたアキを笑顔で出迎えたが、アキの背後から漏れてきた声に首を傾げて車内を覗き込んだ。
「おかえり、アキちゃん。・・・なんだよ、あんた、人の顔ジロジロ見て」
 ゾロは視線でエースと挨拶を交わした。
 もう一度サンジに目を向けたエースがニヤリとした。
「結構怖ぇ兄ちゃんだな。じゃ、またな」
 3人は走り去るエースの車を見送った。
「昼間の仕事だったのか」
 言ってからゾロはアキの冴えない表情に気がついて口を閉じた。
「そっか、あいつがアキちゃんの仕事仲間か。おかしな奴だな~。なんで俺のことあんなにジロジロ・・・」
「ゾロとサンジ君はその箒、どうしたの?」
「入り口の外灯が誰かに割られてさ、ちょうど片付いたとこなんだ。・・・ん?」
 サンジはアキの顔を見た。
 質問したわりに返事をちゃんとは聞いている様子がない。その視線はサンジの顔に向いていたが、なぜか視線が合わない。
「アキちゃん?」
 サンジがゾロの顔を見たとき、アキは深いため息をついた。
「サンジ君、だから目つきが悪い時も多いのかな」
「は?」
 サンジは思わず自分の顔に手をやった。彼は今感情を素直に表した顔をしていると思っていた・・・それも、笑顔のつもりだった。でも、実は、睨んでいるとか?無関係の他人の中にいる時の自分のように?或いは少々荒っぽい人生を送ってきたコックたちの中にいる時のように?
「ごめんなさい、今ってことじゃないの」
 恐る恐る指先で瞼に触るサンジを見てアキは笑った。
「じゃあ、もう1回お風呂に入っておきたいから」
 アキはバッグを持ち直して階段に向かった。
「え、それはないよ、アキちゃん!そうだ、お風呂から出たら早めに飲みに行かねェ?俺とゾロで奢るから!」
「なんでそこに俺を入れるんだ」
 ゾロが呟くとサンジはそちらを一睨みした。まさしく『悪い目つき』で。
「るせェ。お前も早くシャワーでも浴びて来い!汗臭ェ」
 アキの唇が綻んだ。
「今日はわたしにご馳走させて。ちゃんと理由もあるし。あとで、行くね」
 階段下に残された2人は再び首を傾げた。

 3人でのんびりと歩いて街の繁華街に向かう途中。マンションを出てからサンジはひどく機嫌が良かった。
「なあ、アキちゃんが言ってた理由って何?」
「う~ん、言っていいかなぁ。あのね、今日はサンジ君に取らせてもらったサンプルをアレンジしてメタしたの。それがうまくいったからお礼にと思って」
「え・・・それって、男?男になったの、アキちゃん!」
 アキは目を丸くしているサンジを見てから反対側の隣りを歩くゾロを見た。予想通り、目が合った。アキとサンジをひそかに見比べているのがわかって微笑んだ。
「20歳くらいのイメージで。CMのオーディションのさくらだったんだけどね・・・なんだかすごく評判が良かったの。業界の人から名刺を何枚かもらっちゃった」
「ええ!CM!!何のCM?」
「初めてのお酒ということで真夏限定の発泡酒。きれいな青い色のボトルだった。それを持って風に吹かれながらどこまでも行こう・・・みたいな」
「ふぅん・・・つまりは爽やかを絵に描いたようなCMを作りたいんだ」
 CMのイメージに満更でもない様子のサンジと苦虫を噛み潰したような顔のゾロ。いつもながらの好対照。
「うん。で、危うくさくらなのに本決まりになるところだった。・・・サンジ君、オーディション受けてたらうかってたかもしれない」
「あはは、なんかおかしいや。クソジジイにレストランのCM作れって言ってやるか。勿論、出るのは俺だけ」
 アキとサンジが笑っているとゾロがため息をついた。
「これだけじゃお前が憂鬱な顔をしてた理由はわからねぇな」
「そういや俺の目つきがどうとか言ってたよね。俺、あの時変な顔してた?」
 アキは首を勢いよく横に振った。それから心なしか頬を染めてサンジを見た。
「あのね・・・オーディションに来てた関係者とかその辺の人にね・・・やたらと誘われたの、晩ご飯とかお酒とか。つまり・・・男女を問わず、幅広い年齢層の人に・・・電話番号教えてとか・・・」
 アキの言いにくそうな口調から、サンジもゾロもその『誘い』のニュアンスを正確に受け止めた。
「・・・つまり、20歳の俺が大モテだったわけだ。そりゃ、災難だったとしか言い様がねェけどさ・・・」
 脱力したサンジは薄く笑った。
「手でも握られたのか、男に」
 ゾロの声に2人の顔が一緒に真っ赤になった。
「それもあるし、肩も抱かれた・・・」
「うわ・・・」
「・・・そりゃ確かに災難としか言い様がねぇな」
 3人は目を合わせてほぼ同時に息を吐いた。
 サンジが煙草を咥えて火をつけた。
「性的圧力って奴は堪らねェからなぁ。・・・俺さ、子供の頃から黙って立ってるとちょっとばかし誤解されるみてェだったんだ・・・なんつぅか、誰も俺が蹴りで何人ものしてきたなんて思わねェの」
 普通は思わないだろう、とサンジ以外の2人は心の中で呟いた。
「でもって、みんな俺が一声怒鳴ってやると豆鉄砲くらった鳩みてェに驚きやがるんだよな」
 これも無理はない、と思った2人は不思議そうに首を傾げるサンジの前で沈黙を守った。
「で、俺は学校から帰ったらそのままずっとレストランにいたからさ、時たま変な客が来て今日のアキちゃんみたいな目にあって、そういうときは大抵クソジジイが俺より先に相手を放り出したり睨みで縮み上がらせちまって。それがすんげェ悔しかったから絶対に負けねェって思ったんだけどよ」
 ・・・そして今日のサンジがいるということだ。2人は納得した。
 サンジが子供の頃に体験した『性的圧力』は、もしかしたらサンジを強くすると同時に別の面で違う影響を与えたのかもしれないとアキは思った。時折サンジに感じる透明な膜のようなもの。たくさんの女友達の中で透明に笑うサンジの姿。
 サンジの行きつけだという店に近づくに連れてサンジの口数が極端に落ちていた。
 もしかしたらサンジは緊張しているのかもしれない。アキがゾロを見るとゾロも見返した。サンジの周りにだけ張りつめた空気が感じられた。
 次第にゆっくりになっていくサンジの歩みが止まった。
 そこには店の小さなドアがあった。木製でザラザラした表面の手触りを想像できそうな風合いの1枚のドア。アキがいつも何気なく前を通り過ぎている商店街の片隅だった。
「ここか」
 ゾロが声をかけるとサンジは明らかに意識した様子で姿勢を正した。そして、ドアを押した。
 窓がほとんどないせいか、店の中は明るさが薄い空間になっていた。日暮れまでにまだ時間があるのに柔らかな色の照明がついている。中にはいるとすぐに3段、階段を降りる。そのほんの少しの高さの移動がアキには空間を移動するような感覚があった。
 別世界。
 土壁は青味がかった灰色に塗られ、手前に5つの丸いテーブルが配置されている。天井の何箇所から垂れている布は黒に近い青色にぽつぽつと描かれた星が照明を受けると淡く光を返す。外の時間を忘れさせるような。アキは思わず振り向いて窓の外の明るさを確かめた。
 テーブルの向こう、店の一番奥にカウンターが見えた。
 そのカウンターの向こうにその女性はいた。静かで深い瞳は3人の姿を捉えると一瞬光を帯びたように見えた。それから直線を描いていた唇が豊かな表情に変わり、艶のある声を発した。
「いらっしゃいませ。いつもありがとう」
 アキはサンジの身体が細かく震えるのを感じた。