手を繋いで - 8/12

「よお」
店の扉を開けてすぐに壁際のテーブルに座るエースの姿があった。ゾロは視線で返事を返しながらもうひとつ、奥のカウンターの中から向けられた視線を感じ取っていた。
マリエ。
そう言えば、この店にはもう随分足を運んでいない。サンジとマリエがはっきりと別々に生きようと決める前から、思えば自然と足は遠のいていたのだ。事情を知るはずもないエースがこの店を選んだのも無理はない。前にやはりアキ絡みのことでここにゾロとサンジを探しにきたことがあった。
変わらず元気そうではあるな。
カウンターを一瞥して判断するとゾロは真っ直ぐにエースの顔を見ながらテーブルに向かって歩いた。
「アキを、どこへ迎えに行けと?」
エースは椅子を引き出してゾロに腰を下ろすように促した。
「何だかんだと事情を尋ねようとしないのはいかにもあんたらしいけどな、今回はちょっと待て。聞かせておきたい話が俺にはある。会う前にあんたが知っていた方がいいとも思うしな」
ゾロは開きかけた口を閉じて腕を組んだ。
エースは一見少々物騒な仏頂面にも見えるゾロの顔に短く笑いかけた。
「ほんと、話が早くていいよ、あんたは。アキは・・あの子は今俺しか知らない安全な場所にいるはずだから少しだけ安心しろ。ただ・・・身体は安全だが心は多分その正反対だ。俺は・・・正直自信がなくてな。だからあんたが迎えに行くのが一番だと思ったんだが」
『自信がない』
そのエースの言葉にゾロは首を傾げた。目の前にいる男にはおよそ似合いそうもない言葉だと思った。
「いらっしゃいませ。お久しぶりです。・・・お元気?」
気配を感じて口を閉じた二人のテーブルにマリエがグラスを運んできた。その横に置いたのはミネラルウォーターのボトルだった。
「・・・大丈夫みたいだな、あんたは」
ゾロが言うとマリエは淡く微笑した。
「そうね、大丈夫だわ。振られたはずなんだけど、どうしてかその反対みたいな気持ちになることが多いの。彼は・・・どうしてる?」
「美味いメシを作ってる。人間にも猫にもあいつの精一杯のな」
「ああ。わかるわ。わたしの胃袋もすっかり洗脳されていたもの。もう少ししたらお客としてお店に食べに行くって伝えてくださいね」
「ああ、わかった」
相変わらず滑らかな歩き方でテーブルを離れていく後姿を男二人はしばらく黙ったまま見送った。
「・・・そういうこと。あのコックさんはあんたとあの子を選んだわけだ。男としては不思議だけど、人間としてはなぜだか納得しちまうな」
「言ってる意味が俺にはわからねぇ」
「へぇ。ちゃんとコックさんのことも大事にしてるんだ。見掛けによらないな、あんた」
「・・・さっさと話を進めてくれ」
ゾロとエースは視線を合わせ、エースの顔に真剣さが戻った。
「俺がこの世界に足を突っ込んだばかりの頃、何となく流れである組織に入ってた。そこの子ども組・・・・子どもったって20歳前の連中が全部そう呼ばれるんだが、そいつのトップを何故だか任されちまうことになり、そうなってくると自由のために足を向けた場所にいろいろと縛り付けられるものが増えてきて、これははやまったかな~と思い始めてた」
ゾロは黙って聞きながら氷とレモンが入っているグラスに水を注いだ。このエースという男が自分の過去を喋るということがひどく珍しいのだろう感じていた。この男は心身ともに身軽に見せてはいるが口は堅い。本当ならゾロと同じくらい自分について話すのは好きではないだろう。それなのにこうしているということは・・・・つまり、エースの過去とアキの過去に接点があったということなのだろうか。
ゾロがグラスを押しやるとエースは大きく一口あおった。
「サンキュ。で、ありがちなことなんだがそんな時に俺は怪我をした。別の組織の年少の連中が妙に張り切っちまったらしくてな、隣りのシマの俺たち子ども組のトップをやればハクがつく、ぐらいな浅い考えで拳銃なんてまだ持ちなれていないヤツを3人、送り込んできやがった。案の定ものすごい数の無駄弾を撃ち込んでくれた。そんなのにつきあってたら事務所も子ども組の連中も全部巻き込んじまうから俺はちょっとばかり狭いところに一人で逃げたんだが、ほら、下手な鉄砲も数撃てばってヤツで、2発、脇腹を焦がされちまった。人間の身体なんて普段思ってるよりもか弱いもんだ。俺はその場でぶっ倒れて病院に運ばれた。気がついたときには手術は終わっててガラガラと部屋に向かって運ばれてく途中だった。その時な・・・・聞いたんだよ。麻酔も一発で醒めちまいそうな叫び声。廊下で・・・思わず身体を起こそうとさえして綺麗な看護士さんに驚かれた。どこか近くの病室から聞こえたその声は、まさに絶叫ってヤツだった。それからどこかの部屋から俺と年恰好は同じくらいの若い男が連れ出されてきて・・・・まあ、こいつのことはもう少し後でまた話す。とにかく俺はその声の中にあった絶望とか悲しみとかそういうもんに胸をぐっとつかまれちまって、病室のベッドに無事に寝かされても薬が深く効くまで全く眠れなかった。どんな人間があんな声を出すんだろうと思った。撃たれた時の俺はちょっとは呻いたかもしれないが声なんて出さなかった。修羅場も何度も経験してたがあんな種類の声は聞いたことがなかった。俺の傷は思ったよりも重症だったみたいでそれから数日は薬で眠ってるのがもっぱらの仕事だったが、目が覚めるたびに耳を澄ました。もしかしたらまたあの声が・・・って思ったけど、結局その声を聞いたのはそれ一回きりだった」
それが・・・アキなのか。
エースはゾロの眉間の皺を見て小さく笑い、その笑みはすぐに消えた。
「俺の病室っていうのは病院では最上等な個室のひとつだった。そこには一般の見舞い客が近づくことはできないことになっていて、だから組織の人間には都合が良かったんだろうな。俺は黙って寝てるのは性に合わねぇから隙を見ては身体を動かし続け、回復は順調だった。だから、本当なら2週間かそこらで退院できたはずなんだ。それが長引いたのは組織の意向だった。ゴタゴタがおさまるまで俺を隠しておきたかったんだ。だから俺は仕方がなく、のんびりとした時間を病院で過ごすことになっちまった。最初は歩行器、次に杖、なんて使っちまってよ・・・自力でトイレに行けたときは痛いわ苦しいわで大変だったがちょっと自由になった気がしたな~。それで、部屋から廊下に出てみることにした最初の日だった。俺は杖に寄りかかりながらえっちらおっちら歩いていて、気がついたら一番奥の病室のドアが大きく開いたままになってたんだ。病院のVIPルームの言わばトップだろ?そこにはどんな人間が入ってるのか興味が湧いた。金持ちの爺さん婆さんか、それとも俺みたいにちょっと外に出るわけには行かない訳ありの人間か。俺は歩いて行って覗いてみることにした。いつもみてぇに動かない足にイライラしたな、あの時は。早く行かないとドアが閉まっちまうかもしれないって焦るのって、今思えばガキみてぇだな。で、急いだ甲斐あって俺が部屋の前まで行ったときはまだドアは開いていた。ひょっこり頭を突き出して中を覗いた俺は・・・何というか、多分、ひどく驚いた。ベッドの周りのカーテンも開いていて、そこに寝て上半身だけ起こしている人の姿が見えたんだが、それは爺さんでも婆さんでもヤバイ世界の人間とも違っていた。女の子・・・・まだ半分は子どもらしさが残る女の子だった。窓から入る日の光にやわらかそうな髪の色が透けて、肌は真っ白。そんな女の子だったが顔はまったくの無表情でその目を見たとき、虚ろっていうのはこういうことを言うんだってわかったよ。ベッドの頭の方に重ねられた枕にもたれているその姿は多分着替えをさせられた時のままなんだと思った。自分から動き出す気配はなかったからな。俺がそこで覗いていることにも気がついてはいないようだった。何箇所か巻かれた包帯が見えたから入院の原因はそれだとわかった。でも、あの表情のなさは何だ?その姿を眺めるうち、俺はあの時に聞いたあの叫び声を思い出した。もしかしてあれは・・・・・そう思った俺の直感が正しいことを裏付けてくれたのは夕食を運んできてくれた看護士だった」
言葉を切ったエースは一気にグラスを干した。ゾロは自分のグラスを見たが、手は伸ばさなかった。
「その女の子は交通事故に遭った。両親と双子の姉、それから親友の男の子を一度に失った。生き残ったのはその子と男の子の兄の二人だけ。看護士が言うにはその子が意識を取り戻してからというもの、誰もがまるで腫れ物みたいに扱っちまって、かえってその子はまだ一度も涙を流すことができていない。何でも双子の姉というのがご近所さんやら親戚一同の中でえらく評判がよかったらしく、みんなが病室の外ではなぜあの子が、とか大騒ぎをするんだと。自分達だけ散々騒いで病室に入ると死んだ者の名前は言わずにその子が生き残ったことだけを喜ぼうと励ます。そんなのって不自然だろ?俺は想像してみた。評判の姉が突然いなくなってしまい、その途端にスポットライトが自分に当たるんだぜ。明るいことだけ考えましょう、なんて言われるとその前で泣いたら悪いと思っちまうじゃないか。これって結構残酷だよな。そんな時間が続いていた中である日、生き残ったもう一人の男の子がその子の病室に行った。そいつは双子の姉の方の恋人だったらしいんだが、どうやらとんでもないことを思いつくままに喋ったらしい。姉が死んでしまったから今度はお前だ、お前がその姉のかわりになるといい・・・・内容がそんな風に聞こえたからそこに居合わせた看護士は驚いて呆れちまって咄嗟に何も言えなかったんだと。そうしたら・・・・それまで一度も泣けなかったその子がすべてを払いのけるようにして絶叫したんだと・・・・それが俺が聞いたあの声だったんだ。で、それからその子は記憶も意識も感情も全部空っぽになっちまったみたいにただベッドの上にいるだけの状態が続いてるんだと聞かされた。誰が話し掛けてもすぐそばで大きな音を立てても小さな反応一つ返らない。身体以外は全部どこか遠くに飛ばしちまった・・・そんな状態だったんだ」
エースはその時の少女の姿を思い出そうとするように店の窓に目を向けた。
「それから何日かはドアがまた開きっぱなしになっていることもなかったし、俺はその女の子を見かけなかった。勿論、声も聞こえなかった。何となくホッとした自分が不思議だった。俺はいつだって気楽に生きてきた。そりゃあ嬉しいことも悲しいことも人並みにあったし、腹を撃たれた傷の痛みは今まさに最高潮だ。でも、俺には想像できなかった。そんな風に自分を空っぽにして自分を守らなくちゃいけないほどの痛みってのはどんなんだろう。きっと今もわかっちゃいない。あの時見かけた女の子の姿はあまりに細くてまだ幼くて、それだけで俺とは全然違ってた。だから、いいんだと思おうとした。何がいいんだかな・・・馬鹿みたいだろ?だけど、なんでか自分を納得させたかった。もうあの子と関わることはない。一度姿を見ただけで繋がる縁なんてないって。そう納得して落ち着いたつもりになった頃、俺は病室の窓からいつもみたいに中庭を見下ろした。芝生があってベンチがあって嘘臭く感じるほど平和に見える場所。そのベンチの一つに、俺はその姿を見つけてしまった。不思議なほどはっきりと覚えているやわらかそうな髪。細い身体の輪郭。俺はしばらく迷った。だって、行って何ができる?相手は空っぽなんだ。俺がひょこひょこ顔を出したってまたそのことにすら気がつかないに決まってる。大体、どうして行く必要がある?好奇心は禍の元。いらぬお節介は時には残酷だ。俺はそのことを良く知ってるはずだ。だから行く必要はない、行っちゃだめだ・・・そう自分に言い聞かせ続けた。・・・んな顔で見るな、少しは遠慮しないで怒って見せろ。で、とにかく俺は行かないことにした。無理矢理自分を納得させた。なのによ・・・いつの間にか晴れてたはずの空が暗く曇ってて、気がついたら雨が降り出したんだ。見るとその中でも女の子の姿勢は変わらなかった。ただじっと座ってる。・・・俺は結局中庭に下りた。最初に感じたのは怒りだった。女の子はまだひとりでベンチに座らせれてたから。横に車椅子が置いてあったから、それで運ばれてきたんだなってことはわかった。だからそれに乗っけて連れて戻ればいいんだろうけど・・・・俺はその子の前に立ってみた。視線一つ動かなかった。しゃがんで目線を合わせてみた。それでもやっぱり変化はなかった。これならもしかして静かに身体に触れても何も感じないのかもしれない。俺は思い切って細い体を抱き上げようとした。その時だ。女の子の身体が腕の中で震えた。大きく見開かれた瞳には俺を怖がってる気配が見えた。唇が開いて何か言おうとしたみたいに見えた。でも、何も聞こえない。どうした?って聞いてみたがただ震えるだけで表情は混乱してパニックしてる。そんな時だったけど、俺はその表情の鮮やかさに見とれてた。生きて、動いて、感じてる。やっぱりこっちの方がいい。でも・・・女の子は手を喉にあてた。苦しそうに呼吸しながら一生懸命に喋ろうとしてるのがわかった。声が出ないのか?って聞いたら涙ぐんだ目で頷いた。ああ・・・それほどすごい叫びだったんだ・・・・俺はそう思いながらしっかりその子を抱えて医者のところに走った。医者はそれからいろいろ試したよ。女の子の意識が戻ってきたことを喜ぶ暇もなかっただろう。それから何日か経っても声は戻らなかった。俺は時々こっそり顔を覗きに行ったが、あの子が起きている時には行かなかった。不規則な高熱が続いたり口からとった食事を身体が拒否してしまったり、慌しい時間が続いているようだった。俺はずっと考えていた。生きてきた中であんなに考え事ばかりしていたのはあの時くらいだ。そして、ひとつの結論を出すと、夜中に病室に忍び込んだ」
エースはゾロの顔をちらりと見た。ゾロは黙って視線を返した。
「・・・つまらねぇな。ちょっとくらい顔色に変化付けろよ。俺がそっと病室に入っていくと女の子はまるで待ってたみたいな顔をして俺を見上げた。でも、それだけで言葉は出ない。その頃には医者も原因がわからないままその子は声を失ったんだって言う結論を出してた。元気か?とは聞かなかった。ただ俺が聞いたのは・・・・自分が嫌いか?っていう甘みは一口もない質問だった。そして女の子はえらく素直に頷いた。だったらなって言いながら俺が渡したのは携帯電話の番号を書いたメモだ。俺ならもしかしたら今までの名前をきっぱり捨てて生きる方法を見つけてやれるかもしれない・・・・そう言った。ただ、それは簡単じゃねぇし、少しばかりお日様に背を向けなきゃいけないときもある。それでもいいと思ったら連絡しろ・・・自分じゃない人生を生きながら考える時間があっても悪くはないだろ・・・・そんな風に言った。まだ半分ガキだったあの子に無茶だったかもしれねぇな。でもあの時のあの顔は俺の言葉をそっくり全部わかったと思う。そしてその次の日に俺は退院した。それから・・・女の子から電話があったのは何ヶ月か経ってからだ。そしてあの子のメタ三昧の日々がはじまった。この辺の詳しい話は省くぜ。企業秘密だらけなんでな。そして話は今日だ。俺はあの子に話があったんであんたらのマンションに車走らせてた。そしたら目に入ったのが何かもめてる男女で、良く見れば女はあの子だったし男の方は・・・・何となくどこかで見覚えがある気がする顔だった。前も見ないで車の前に飛び出してきたあの子を捕まえたとき、男があの子の名前を呼んだ。それはあの子の昔の名前だった。その瞬間にわかった・・・・男はあの子が声も失い心も失いかけた原因のヤツだった。あの子はひどく怯えてたんで、車に乗せてとにかく走った。でも・・・そのうちまずいと気がついた。暴走する車は絶対に事故のことを思い出させているだろうし、まして後ろから追っかけてくる車にいるのはあの男だ。後ろの席で小さく身体を丸めている様子は、何だか今すぐにまた心をなくしちまいそうに見えた。だから、少々無茶なやり方であの子を車から降ろした。それから追っ手を連れたまましばらく走り回り、頃合を見計らって巻いた。で、この店に向かいながらあんたに連絡した。・・・こんなところだ」
ゾロは短く息を吐き出した。
「アキはどこにいる?」
エースはホッとしたように笑った。
「あんたじゃないと駄目だな、やっぱり。あの子は倉庫街にいる。中の一つが俺の住処で・・・まあ、そこできっと突然見せられた過去に苦しんでる。番号は56-Aだ」
立ち上がるゾロをエースは見上げた。
「不安じゃないのか?あんたは。もしも今行ってあの子の顔に表情がなかったら、とかは思わないのか?」
エースを見下ろしたゾロの顔にかすかな表情が通り過ぎた。
「一人にしておく方が不安だ。あんたも行くか?」
エースはグラスを置いて立ち上がった。
「いや、俺は俺でまだやることがある。あんたはあの子の過去には関係ないままでいていい。ただあの子のことだけ考えろ」
交わす視線に意味があるとしたら、それは互いの胸のうちに対する理解と等しかっただろう。
ゾロが、そしてその後ろに続いてエースが。二人はそれぞれの車に乗り込んでエンジンを掛けた。そしてほぼ同時に反対方向に向かってタイヤを鳴らした。