砂時計

 ゆで卵。最も簡単な卵料理。うまく半熟にすると楽しみ方が増える。
 アキはソファベッドの上で身を起こして大きく腕を伸ばした。。
 どんな夢だったかは忘れたがゆで卵を食べたいという気持ちだけは覚えていた。アキはぼんやりとした頭のまま裸足でキッチンに歩いて行き、小鍋に水を入れはじめた。
(卵・・・あったよね)
 白くて小ぶりな冷蔵庫の扉を開けて卵の数を確かめていたアキは、背後から聞こえてきた声に飛び上がった。
「あのさ、卵入れる前に火を点けちゃダメだよ」
「俺は生のままでいい」
 そういえばどうして自分は、と思いつつアキはコンロの火を止め、そういえば昨夜は、と思い出しながら後ろを向いた。
 床に敷いた毛布の上でそれぞれに起き上がるサンジとゾロの姿があった。やわらかく微笑むサンジとあくびをしながら頭を掻いているゾロ。毛布は何冊もの本に囲まれている。中には開いたまま伏せられているものもあり、眠り込む直前まで読まれていたことがわかる。
「おはよう」
 アキはまずコーヒー用のお湯を沸かすことにした。
「ゾロ、生卵ってことはご飯、いる?」
「ああ。あったらありがてぇな」
「サンジ君はトーストでいい?卵はどうする?」
「ごめんね、アキちゃん。固ゆでにしてくれたらミモザサラダにするよ。パンは俺が焼こうか?」
 とぼとぼ歩いてきたサンジに場所を空けてアキは冷凍しておいたはずの米飯を探した。卵をかけたご飯とミモザサラダ。いかにも2人らしいと思い、アキは小さく笑った。
 昨夜はサンジが買ったDVDをアキの部屋のスクリーンに映して3人で観た。空から撮った海、浅瀬の海、深く潜って撮った海。様々な水の青とそこに暮らす生き物たちの姿。
 気持ちが吸い込まれるような時間の後はそのまま別れる気がしなくて酒を持ち寄った。それぞれのペースで飲みながら本のページをめくり、時々とりとめのない話をした。そうするうちに料理人とウェイターの掛け持ちで疲れていたサンジが最初に眠った。眠るまでは「ちょっとだけ」、と何度も言っていたが結局起きなかった。少しずつグラスの中身を減らしていたアキと一番沢山グラスを重ねていたゾロが残った。2人はそれからまた本を読み・・・いつの間にかアキの記憶は途切れた。
『ったく・・・』
 そんな声が聞こえた気がした。

 卵を入れた小鍋が煮立ってきたのを見てアキは伸び上がって棚に手を伸ばした。
「お。お洒落な砂時計だね」
 サンジが受け取って砂時計をひっくり返した。全体が銀色の砂時計の4本の柱には細かな蔦の模様が浮き上がり、ガラスの中の砂は黄金色の光を湛えている。
「ほら、コーヒー入ったぞ。取りに来い」
 ゾロがゆっくり歩いてきてカウンターに座った。
「そういえば・・・」
 アキが砂時計の天辺を指先で軽くもてあそびながら笑った。
「思い出した。昔ね、こういう問題があったの。砂時計が2つあってそれぞれ10分計と7分計なの。で、それを使って25分計るにはどうすればいいかっていう・・・。わたしはそういうのが苦手で、でも結構考えたんだけど」
 マグカップを持ち上げて熱いコーヒーの表面に向かって数回息を吹いてから、アキは砂が落ちきったことに気がついた。アキよりも小鍋の近くにいるサンジは気がついていないようだ。珍しい。アキはトングを使ってそっと卵の一つを取り出した。
(ん・・・?)
 見ればサンジの瞳は宙の1点に向けられたまま動く気配がない。ゾロは手にカップを持っているのに口をつけないまま動きがない。
「・・もしかして2人とも考えちゃってる?」
 アキの声にゾロとサンジはゆっくりと視線を合わせた。そこで小さな火花が散ったように思ったのは果たしてアキの思い違いだろうか。やがて男2人の唇がゆっくりと曲線を描いた。
(こういうところは似てるんだ)
 アキはカウンターに座り、のんびり肘をついて手に顎をあずけた。ふと思いついて微笑みながら砂時計をもう1度ひっくり返す。
 勝負がつくかどちらかが先にあきらめるか。
 結果が出るまでに何度砂時計を返すことになるか。
 置いてあったメモ用紙を引き寄せて短い横棒を1本引いた。

2005,5