迷い人 - 2/6

 サンジと名のったその男はドアを開けたままアキを待って微笑んだ。
 そのサンジの声もアキの収集欲をそそる。耳に心地良い音程と発音。
「俺はつきあう理由はないな」
 無愛想な男の声が通路に響くと、サンジは笑みを深くした。
「ロロノア・ゾロっていったよな、あんたの名前。ジジイのリストに載ってたぜ、ちょっと注意しておいた方がよさそうな人間。だから俺の部屋も2階になったんだけどな」
 ジジイ、というのはオーナーのことなのだろう。アキとゾロは同時に納得していた。サンジの口からこぼれた呼び名はあまりにぴったりだったから。
(こいつ・・・)
 ゾロはサンジの顔をもう1度眺めた。
 ようやく立ち上がったアキが彼の方を振り向いている。不思議そうな顔をして。
(こっちも何だか変な奴だな)
 2人の正体を「見切って」おく必要を感じたゾロは、小さく息を吐くと2人の方に歩いて行った。
「さあ、どうぞ。熱いお茶を淹れますよ」
 2人を部屋に招き入れるサンジの言い方はとても慣れた感じがした。

 直線がきれいなマグカップはそれぞれの柔らかな色が互いを引き立てているように見える。湯気と一緒に流れる香りはストレートな紅茶の香り。勧められるままに一口飲んだアキは記憶に残る味わいに気がついた。契約の時にオーナーが出してくれたものと同じ味。爽やかな旨みと切れのいい後口が特徴だ。
「このお茶・・・」
 アキが言うとサンジは頷いた。
「最近ジジイが凝ってるブレンド。アキさん、飲んだことあるんだ。味を覚えててくれたって言っとくよ。どうせ嬉しくてもそんな素振りは見せねェんだけど」
「紅茶は大好きだから」
 数語言葉を交わしたことで少し落ち着いてきたアキは部屋の中を見回した。サンジの部屋はカップと同じ柔らかな色と素材で統一され、心地良い空間になっていた。
 一番アキの目を引いたのは窓で揺れるカーテンだった。白くて透明感がある生地は外からの光をほどよく通して部屋の中に明るいスポットを作っている。けれど外から中の様子はほとんど見えない。そういう加工をされた生地なのだ。
 サンジみたいだ。アキは直感的にそう思った。柔らかな笑顔も穏やかな声もアキに安心感を与えるあたたかさが溢れているが、サンジの本心は見えない。初対面とはこういうものかとも思ったが。

 手触りがいいクロスで覆われたソファー。ゾロとアキがわざとらしくない程度の距離をとって並んで座っている。ソファーの前に置かれたのはサンジがテーブルとして使っている大きなガラスキューブ。普通のガラスではないらしく立方体の中は見えない。引き出しが存在しそうなところにアキはひそかにわくわくしていた。
 そのガラスキューブを挟んだ向かい側にサンジが座っていた。床に置いたクッションの上に。部屋に招き入れるサンジの様子は来客に慣れた感じがあったが、部屋の中はそういう感じがしない。ソファ一つ以外に座る場所はない。1人かせいぜい2人でゆったりくつろぐプライヴェート空間。そんな雰囲気が漂っていた。
 その心地良い空間で浮いているのが無表情に腕組みをする黒衣のゾロで、黙って自分の前に置かれたカップに目をやっている。
肌で空気を読んでいる・・・アキはそう思った。
 サンジが苦笑いした。
「変なものは入れてないぜ。で、アキさん。どこで鍵を失くしたか心当たりはあるかい?」
「いいえ。ごめんなさい、ドアの前に来るまで失くしたことに気がついてなくて」
「う~ん、じゃあ、少し待ってて」
 サンジはどこかに電話すると事務的な口調で話しはじめた。鍵を付け替える段取りがどんどん決められていく。そこまで考えていなかったアキは目を丸くした。テキパキと話を終えたサンジは紅茶を飲んだ。
「すぐやってくれるから、後は新しい鍵を待つだけだ。これでじっくりその『サンプル』の話を聞ける」
 自分の衝動的な発言を思い出してアキが顔を真っ赤にすると、ゾロがゆっくりと組んでいた腕をほどいた。
「オーナーとあんたはどういう関係なんだ?親子か?孫か?」
「幸運なことにあのジジイとは血のつながりはない。親代わりみたいなもんだ。俺がここに住んでるのは何かあった時にこんな風に対処するためってこともある。まだ誰にもジジイと俺のことを知らせてないのはつまらない苦情をさばくハメになるのはご免だからだ。・・・こんなんで答えになるかい?ああ、あと、さっきも言ったが部屋を2階にしたのはあんたと同じ階だからだ。ジジイ、あんたに何か感じるところがあったみたいだぜ。ただの直感ってやつだけどな」
 ゾロは頷くとカップを持った。
(なんだ、意外とまともじゃねェか)
 出された紅茶を冷ましてしまうのが嫌だったらしいゾロの様子にサンジは心の中で頷いた。
「で、あんたの『サンプル』ってのは何だ?」
 ゾロの容赦ない視線を浴びて固まるアキを見てサンジは慌てた。
(・・・まともだけどこいつ、相手が誰でもこの調子かよ)
「アキさん、実はお姉さんか友達と一緒に住んでる?この間、見かけたんだ。ものすごくスタイルのいい素敵な女性。鍵あけて部屋に入ってったみたいだったけど」
 一旦雑談を挟んでアキの準備ができるのを待とう。そんなサンジの思惑はなぜか外れたようだった。アキは困ったようにしばらくカップに視線を落としていたが、やがてサンジの顔を見た。
「それ・・・わたしなんです。部屋の鍵を持ってるのはわたしだけだし・・・」
「え・・・でもあの女性は・・・」
 サンジが階段を昇って2階の通路に出た時にちょうど部屋の中に入っていった女性だった。遠目ではあったが記憶に残さずにはいられない抜群のスタイルとサラサラ長い髪の持ち主だった。サンジは思わずアキの胸元を見やった。膨らみがほとんど目立たない中性的な体型が見て取れた。記憶の中の豊かに溢れそうなバストとは全然違う。髪の長さも、色も、そして雰囲気も。
 サンジの視線の行方を悟ってアキはジャケットの位置を直し、さりげなく胸をカバーした。サンジはすぐに目を逸らして顔を赤らめた。
「あの日は仕事の後で着替えて来る時間がなくて・・・・」
 赤らめあった顔を見合わせて次の言葉を探している2人の様子にゾロは心の中でため息をついた。これまでの言動を見ると多少突飛なところもあるがまともな部分もある2人だと思った。
「で、あんたの仕事ってのは?」
 2人の視線が自分に集まるとゾロは苦笑いした。1人は舵取りをゾロに譲り、もう1人はまた困り果てている。
 アキは紅茶で唇を湿した。
「わたしの仕事は『変身』なんです。メタって言ってます、仕事関係の人は」
「へんしん・・・・・?」
 サンジが首を傾げた。胸のポケットから取り出した煙草の箱から1本振り出して口に咥える。けれど火をつける気配はない。
「・・・メタモルフォーゼ、か」
 ゾロがつぶやくとアキは瞳を見開いた。
「知ってる・・・?」
「いや、噂を聞いたことがあるだけだ。詳しくは知らない。どういうものなんだ?」
「別の人物の姿に変身するんです。リクエストの内容も理由もいろいろ。要人警護のための身代わりだったり、一日限りの理想の家族だったり、サンジさんが見かけたのは多分絵描きさんのモデルになった時だと思います」
「はぁ・・・」
 サンジは改めてアキの姿を見た。華奢でやわらかそうなイメージがとらえどころのないものに思えてくる。
「俺たちのサンプルが欲しいってことは、お前、俺たちの姿にもなれるってことなのか?」
 ゾロの瞳には興味の色があった。
「なれます・・・というか、サンプルをいただいてもそのままの姿を真似させていただくわけではありません。それだとご迷惑でしょう?だからアレンジして使わせていただくことになります。全身と声と」
「俺とお前じゃ随分体型が違うぞ」
 アキはニッコリした。
「身体にいろいろくっつけますから。企業秘密ですけどね」
「声は、声帯模写ってやつ?」
 サンジはようやく煙草に火をつけた。後日、アキはこの時のサンジがまだ動揺していたのだということに気がつく。サンジは普段は火をつける前に一緒にいる人間の了解を取るのが常だと知った時に。
「いえ、声はデータの分析が終われば簡単です。今も・・・この声はわたしが『普段用』って決めてる声を出してるだけで変えることも出来ます」
 アキは白い指先で自分の喉を指し示した。
「ここには特殊な声帯が入ってるんです。声を失くしちゃったので」
 ゾロとサンジは言葉を忘れた。アキは笑顔のまま語ったが内容が似合わない気がした。
「それって・・・」
「失くしたってことは生まれつき声が出なかったわけじゃないんだな」
 アキは頷いた。
「声を失くすとは思ってなかったしその頃はまだ子供でメタをやってたわけじゃないから、自分の声をサンプリングしておくなんて考えてもいませんでした。だから、今のこの声は自分が耳で聞いていた自分の声を再現したものなんです。ほんとの声とは多分かなり違うでしょう。確かめようはないんですけどね」
 確かめることが出来る相手がいないということか。ゾロとサンジは一瞬視線を合わせた。
「あ。。。。メタのことは内緒にしておいてください。表で知っている人はまだほとんどいないんです。人の秘密の部分に触れることが多い職業なので」
 アキにしてみると噂程度でも聞いたことがあるゾロの存在が不思議なくらいだった。
「内緒って言うわりには、お前、たくさん喋ってるな」
「お2人は大丈夫。自分の勘は信じることにしてますから」
 アキの笑顔を見たゾロは再びため息をつき、サンジは一筋、煙草の煙を吐いた。
「で、サンプルってどうやってとるんだい?今ここでもできるの?」
 言ったサンジの顔を見るアキの瞳が輝いた。
「いいんですか?ありがとうございます!」
 それからアキは顔をしかめたゾロに視線を移した。
「ごめんなさい、普通は気味が悪いですよね。つい・・・夢中になってしまって。もうお願いしません。忘れてください」
 ゾロは謝るアキの顔を見た。大人と子供が混ざっている・・・そんな風に見えた。
「サンプルを取るのはちょっといろいろあって時間もかかるんです。わたしの部屋・・・鍵が開いたら部屋で作業させていただいていいですか?」
 アキがサンジに言った時、部屋のベルが鳴った。涼しげな波の音。サンジによく似合う設定だ、とアキは微笑んだ。
「いいタイミングだ」
 サンジは立ち上がると灰皿の上で煙草を軽くひねった。