アキは手渡された新しい鍵をそっと鍵穴に差し込んだ。
ゾロとサンジは通路の隅で何やら言葉を交わしている。
「おいこら、ちょっと待て。女性の部屋に男の俺が1人で入ってったらマズイだろうが!」
「考えすぎだろ。俺はつきあう義理はない。早く一眠りしてぇんだ」
「はぁ?まだ夕方だろうが。徹夜で仕事してきたのかよ」
「お前には関係ない。とにかく、あいつは別に気にしてないみたいだし・・・」
ゾロが顎で示した先ではアキがドアを大きく開けたところだ。
「それにあいつは女々してないし・・・」
言いかけるゾロの手首をサンジは引っ掴んだ。
「何しやがる!」
「いいからつきあえ!終わったら旨いメシを食わせてやるから!」
だいぶ慣れてきたとはいえまだ初対面同士。力の強さを自負しているゾロはサンジを思い切り振り払うことにためらいを感じた。その隙をつくようにしてサンジはゾロを引きずりながら1歩、ドアから中に進んだ。
「うわ!こりゃぁ・・・えっと・・・」
思わずあげた大声を取り消すようにサンジはしっかり口を閉じた。
急に立ち止まったサンジにゾロの体が当たり、そのゾロの背中にアキの額がぶつかった。
「なんだ?」
ゾロはサンジの肩越しに覗いた。そしてサンジと同じように口を閉じた。
部屋は中を仕切る壁をほとんど取り払ったらしく大きなワンルーム状態になっている・・・ように思われた。最後が曖昧なのは目の 前に広がる部屋の状態がすでに全貌がわからないものになっていたからだ。
床のいたるところに積み上げられた本の山。壁面に沿って置いてある一つながりのデスクの上にはディスプレイ、マシン本体、その付属装置・・・ハードがどう見ても1種類について複数ずつ並んでいる。それだけで広いはずの部屋の半分が占められている印象だが、さらにソファが1脚、それから奥には2人がこれまでに見た中で一番小さなキッチンコーナーがあり、そのとなりに大きめのクローゼットのように見える扉がついた直方体が立っている。
「ジジイがかなりの工事が入ったって言ってたが・・・」
「・・・この中で生きてるのか、お前・・・」
立ち尽くす男2人の姿にアキはまた頬を赤くした。
「ちょっと・・・変わってますか?」
「ちょっと、ねぇ・・・」
ゾロの唇の一方の端がかすかに持ち上がった。彼自身思いがけなかったがもしかしたら今までの、そしてこれからの成り行きを楽しむ気分になりかかっていた。
「なんか、こう、十分本格的だっていうのがわかるぜ」
ようやくサンジの顔にも笑みがこぼれた。
「ええと、ゾロさんはソファにお座りください。サンジさんは・・・ちょっといいですか?」
アキはかろうじて広めに空いた床スペースの中央にサンジを立たせると慣れた手つきで撮影機材を組み立てはじめた。
(ほぅ・・)
(へぇ・・)
作業に入ったアキの表情からはそれまでのどこか必死だった感じが消え、真剣な顔の中で瞳が輝き唇が曲線を描く。
「わ・・・あの、アキちゃ・・・」
胸のボタンを手際よく外されて焦るサンジの顔を覗いたアキがニッコリした。
「大丈夫。全部脱いでいただくことはないです。下着1枚になっていただけると助かるんですが」
サンジはちらりとゾロのほうに目をやった。笑いたいのをこらえているらしいのがわかる。アキはといえば作業のことで頭がいっぱいらしく、サンジを異性と意識している様子は全くない。夢中になっている様子は滑稽にも見えるが真剣さが好ましくもあり、サンジは体から力を抜いた。
(まあ、いいか。腹くくるしかねェよな・・・)
サンジが自分のベルトに手をかけるとアキは微笑んだまま頷いてサンジのそばを離れた。デスクのマシンの電源を入れていくつかキーを叩く。リモコンのボタンを押すとサンジの背後に天井から巻き上がっていた白いスクリーンが降りてきた。
(俺、トランクス派でよかったかも)
Tシャツとトランクス1枚の姿になったサンジはゾロのほうを見ないようにして胸を張った。
「サンジさん、煙草吸って大丈夫ですよ。今から声も録音させていただきます。よろしくお願いしますね」
(そのかっこで煙草ねぇ)
ゾロの腹筋はひきつりはじめていた。しかし、録音が開始されてるとあっては意地でも笑うわけにはいかない。
(でも、こいつ・・・)
ゾロの視線はすばやくサンジの体の上を走った。服の上からはわからなかったが細身に見えるサンジの身体を無駄のない筋肉が覆っているのが判る。俊敏に動作を繰り出せそうな身体だ。
撮影をはじめたアキはくるくるとよく動いてサンジに声を掛けた。一生懸命リラックスさせようとしているのがわかるので、サンジは思わず笑顔になる。ゾロの視線が若干気にはなったが不思議と恥ずかしさは消えていた。アキはなるべく自分が動いてサンジにはそこに立っているだけでいいようにしているようだった。最近読んだ本の話やマンションのオーナーと会った時の話などサンジが答えるのに困らない感じに話題を出してくるので、気持ちよく会話した。
「ありがとうございました、サンジさん」
アキが床に座り込んだ。額に汗が浮いている。気がつくと1時間ほどが過ぎていた。
「もう、いいの?」
「はい。立ちっぱなし、疲れたでしょう?」
「いや、慣れてるから」
手早く服を着て、サンジはようやく煙草を引っ張り出した。
不思議な時間だった。状況はもう2度とあり得ないほどおかしなものなのだがとても早く過ぎた濃い時間だった。そう感じさせたのはアキの全身から放たれたエネルギーの渦のようなものなのだろう。アキはかなり疲れたようだ。
「アキちゃん、30分ほど待っててくれる?夕飯、作ってくるから」
アキは目を丸くした。
「そこのゾロにも約束したし。ありあわせの材料だけどなんとかするから」
サンジはゾロを見た。この1時間、ゾロも同じだろうがサンジもゾロを観察した。ゾロは時折面白がるような視線をアキに向けていたが、どうやらアキの事を女性として意識している様子はない。2人にしても大丈夫だろう。
ゾロはそんなサンジの考えを読んだように渋い表情になった。
「俺は別に頼んだわけじゃ・・・」
「わかってる。でも、とにかくお前はつきあってくれたわけだからな。準備できたら呼ぶから待ってろ」
サンジは足早に部屋を出て行った。
「サンジ君、料理が得意なのかな・・・?」
アキの声には感嘆の響きがあった。
「お前はあまり得意そうじゃないな」
簡単すぎる簡素なキッチンを見て思わずゾロが言うとアキは素直に頷いた。
「お茶を淹れるのは自信あるんですけどね」
身体を伸ばしながら立ち上がったアキはキッチンに移動した。
やがてアキが運んできたカップからは、立ち上る湯気と一緒に確かに良い香りがゾロの鼻腔に流れ込んできた。テーブルがないので直接カップをゾロに渡すと、アキは撮影に使った機材をデスクに運び、マシンの前でいくつかキーを叩いた。その後姿は楽しげで、体が自然とリズムを刻んでいる。
(ん?)
ゾロはアキの小さな鼻歌に気がついた。
「その曲・・・・」
振り向いたアキは見慣れてきた笑顔になった。
「ああ・・・これね、何日も頭の中から離れないんです。前にも聞いたことがあって、でも作曲者もタイトルも思い出せないの。気がついたらメロディーを歌ってて・・・」
(あれ・・・?)
その時アキは、ゾロの顔を微笑が通り過ぎるのを見たような気がした。
「これをサンジ君が・・・?」
喜びのため息をつくアキの顔を見てサンジは笑った。
「見た目よりも味で勝負が方針なんだけどな」
大きな皿の上に盛り付けられたパスタの上には色鮮やかな野菜各種が散りばめられている。触れなくてもギンギン状態に冷えていることがわかるガラスボールにはマリネされた魚介類のサラダ。
ゾロがワインのラベルに目を走らせたことに気がついて、サンジは2人をソファに座らせながら声を掛けた。
「米の酒がよかったら貰いもんがあるぜ。一緒につまめって塩辛ももらったし」
ゾロの眉が僅かに上下した。サンジを見る顔には嬉しそうな色はなかったが、サンジは笑った。
「いかにも好きそうだからさ、お前」
気がついたら前よりずっと楽に会話を交わしていた。
互いを呼ぶときのかたい緊張感がなくなっていた。
3つの部屋の隣人同士。まだまだ未知の部分が沢山あることはわかっていたが、こんな夜があってもいいと3人とも感じていた。
縁というのは不思議なもので、一度細く結ばれるとまるでいたずらのように一気に強くなることがある。
でもこの時にはまだ誰にもそんな予感はなかった。