鏡の中で自分を見返す瞳の色。
鼻の形。
長く垂らした髪の隙間に見える耳の形。
念入りに仕上げた唇の曲線。
アキはこの半日の成果を確かめていた。
今回はかなり詳しいデータを受け取った上での仕事だった。準備に1ヶ月かけている。アキが今「メタ」している相手は社会的に地位が高い家の1人の女性。その女性がお忍びで出かけるという想定だ。
(本人はさらにお忍びでなにをするつもりなのかな)
丈の長いスカートはドレスといった方がふさわしい。お陰で今回は身長の差を靴だけで調整することが出来た。走るには少々向かないが、普通に歩く分には平気な高さだ。
しっとりとした素材のブラウスは豊満な曲線を描く身体を上品に覆い、胸元のペンダントトップの赤い宝石はデータと一緒に送られてきた本物だ。身につけるまでは緊張するアイテムだったが一度「メタ」してしまえばずっと前からつけ慣れているもののように錯覚できる。
3分前になり、アキは衣装を隠せる黒いコートを羽織りフードを深くかぶった。瞳を隠すサングラスをかけるとなんとも滑稽な姿が鏡に映し出される。
(自分の車を買ったほうがいいかなぁ)
小ぶりでエレガントなバッグ一つと少し大きめのバッグを持って、アキは部屋を出た。
「お疲れさん。今日は俺からじゃなくてもうちょっと上の男が説明したいそうだぜ」
車の横に立っていた男はどこか人懐こい笑みを見せた。
「こんにちは、エース。あなたは詳しいことを知らないの?」
エースは笑顔のままドアを開け、アキが乗り込むのを待って静かに閉めた。
「今日はあんたの運転手だ。気楽でいい。今回は随分と女らしい声だな」
エースという名のこの男はアキに「メタ」の仕事を持ってきてくれる。連絡係であり時にはすべてを取り仕切る。
「この間の報酬、確認したか?」
「ええ。ちゃんと入ってた」
「あんたの評価、上がってきてるぜ。そのうちもっと大きな仕事や沢山の仕事が入ってくるから、しっかり自己管理するか代理人でも置けよ」
これまでアキはエースを通じて依頼される仕事だけを請けてきた。エースは一つの組織に属しているわけではなくていろいろな相手の依頼を持ってくる。滅多に断ることにならないのは恐らくエースが予めアキが受ける気になるものを選んでいるからだ。他には何人くらい仕事を回す相手がいるのだろう。何となくこれまで訊けなかった。
お互いのことは話さない。それがアキとエースの間で暗黙の了解となっているルールだった。それでもアキはエースを信頼していい仕事相手だと思っていた。
「鍵開け、できる?」
ふと訊きたくなってアキが口を開くとエースはハンドルを切りながらちらりと視線を投げた。
「不法侵入はやめとけ。あんたならどこでも入れるだろ、変身すれば」
「入れなかったの、この間」
アキは思い出して微笑んだ。数日が過ぎ、あれからゾロにもサンジにも会っていない。それでも時々隣りの部屋に気配を感じた。1度会ったことがあるだけでその気配をほんの少し嬉しく感じる自分が面白かった。
「気分が良さそうだな。何よりだ」
そう言うエースの口調が少しひっかかった。
通されたのは以前にも数回入ったことがある部屋だった。金属のイメージが強いオフィスのようだ。エースの後についてアキが入っていくと正面のデスクに座っていた男が立ち上がった。これといって特徴のない顔。ダークスーツ。その声までも心に響くものがほとんどないことをアキは思い出した。
男はアキの全身に素早い一瞥をくれた。
「見事な出来だ。いい仕事だ、外見は」
アキは1歩前に出てエースと並んだ。
「では、声はいかがかしら?わたくしの声に聞き覚えはおあり?」
男は数度頷いた。
「いい出来だ。では2人に今回の仕事を少しだけ説明しよう」
(2人・・・?)
エースは連絡と段取りまでのはずだった。アキが見るとエースは小さく首を横に振って笑って見せる。
男が手で合図するとデスクの斜め横に置かれた椅子が回った。背もたれが高かったのでアキが立っている場所からは誰かが座っているかどうかわからなかったのだが・・・
「縁」とはこういうものなのか。
アキは椅子から立ち上がった男を見つめた。
黒衣の男、ロロノア・ゾロを。
「今回はこの男が同行する。ボディ・ガードだ。本物の令嬢は1人で出かけることはまずない。念のためということもある」
ゾロはアキを凝視していた。まだ彼にはアキだということはわかっていない。アキの唇に微笑が浮かんだ。「メタ」の噂を聞いたことがあったのはこういう仕事をしているからなのだろうと納得がいった。
(でも・・・)
この間会った時のゾロとどこか印象が違う。アキもゾロを探るように眺め、気がついた。ピアスが違う。この間は金色のピアスだった。黒衣に映えて印象的だった。それが今日は服と同じ黒い石のものに変わっている。
「これからある人物に会いに出てもらう。資料にも入れておいた令嬢の婚約者候補だ。会ってから2時間、時間をもたせてもらう。それだけだ。2時間たったら理由をつけて別れるんだ。・・・2時間経たないうちに何かあったら対処してくれ。とにかく2時間時間を稼ぐんだ」
いつもは機械のようなこの男が今日は若干歯切れが悪い。アキは何か訊くべきか迷った。大抵の場合は質問しても明確な答えは戻らない。説明された分の情報と依頼内容だけで行動するしかないのだ。
「随分と曖昧だが、とにかく2時間その男と会えばいいんだな?」
ゾロの横顔は無表情だったが瞳だけが裏切っていた。刺すような視線。
(最初に会った時みたい)
あの日、ゾロはあまり喋らなかったしその無口ぶりが常なのだとアキとサンジは理解した。けれどほんの時折唇に笑みが浮かび、或いはニヤリとした時があった。そうすると無口な時よりも危険でそのくせ子供のように見えたりもした。
「そういうことだ。君はその令嬢のそばにいてガードする。それだけだ」
「わかった」
ゾロが立ち上がると男がカードを渡した。
「今からその店に行ってくれ。車は用意してある。君のはエースが部屋に届けておく」
カードと交換するようにゾロはキーを渡した。
「人はものを食べる時には正体を現しやすい。注意して評判どおりのメタモルフォーゼを見せてくれ」
男の顔には最後まで感情が見えなかった。
アキは傍らに歩いてきたゾロの顔を見上げた。
「行くぞ」
ゾロは足を止めずに通り過ぎた。
「幸運を」
エースの声が耳元に聞こえた。
同時に車に乗ってシートに身を沈めて。2人は黙っていた。
アキはゾロに自分であることを話すべきか迷っていた。
沈黙のうちに車を発進させ、ゾロが口を開いた。
「それだけ迷ってるってことは、やっぱりお前なんだな」
唇の片側を上げてニヤリと笑う。
アキは息を長く吐き出してニッコリした。
「偶然ってすごい」
「声が別人だな」
「声だけ?」
「いや、何もかも」
ゾロの言い方はアキを満足させた。
「2時間、よろしくお願いします」
「ああ。何だかよくわからねぇが終わらせるしかないな」
2人が乗った車は交差点を右折した。